HEIRLOOM

 マドカがデザート中学に転校して来てから、早いもので一ヶ月が経とうとしていた。
 気のおけない友人もでき、マドカはデザート中学での――引いてはどんぶり島での新しい生活にすっかり馴染んでいた。
 そんなある日、マドカは学校帰りに友人を家に招いた。招待客はライト、マスタード、マリ、セイラの四人。ホワイトは学級委員の定例集会、パステルはラジオ番組の収録があるため、残念ながら今回は見送ったのだった。
「散らかっているけど適当に座って。今珈琲淹れるから」
 そう言って台所に消えるマドカ。ごろごろ。程なく何かが転がっているような、聞き慣れない音が聞こえ始めた。
「一寸見に行ってみようぜ」
 待ちくたびれたマスタードが立ち上がった。
「やめなさいよ。いくら何でも失礼よ」
 といいつつマリも立ち上がった。
「おいおい、言ってることとやってることが違うぞ」
 建前でツッコミを入れてみるものの、ライトもセイラも好奇心には抗えなかった。
 4人で台所を覗きに行くと、そこには――取っ手の付いた鋳鉄製の動輪を回しているマドカがいた。
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「ごめんね、待たせちゃって。もうちょっとだから……」
「で、何をやってるの?」
 ゆったりした動輪の動きに目を奪われながら、セイラが尋ねる。
「珈琲豆を碾いてるの」
「え? それってもしかして……豆碾き機(コーヒーミル)なの?」
「そうよ。手碾きだから時間がかかるの、ごめんね」
「なるほど、このハンドルを回すのか……」
 メカ好きのライトは豆碾き機(コーヒーミル)の仕組み(ギミック)に興味津々のようだ。
「随分古いね。骨董品(アンティーク)な感じがまた何とも……」
「うん、昔お父さんとお母さんがやってた喫茶店で使っていたんだって。おじいちゃんが言ってたわ」
 マドカは自分のその言葉で、危うく記憶の引き出しの奥に仕舞われそうになっていたことを思い出した。
「そうだ! ねえ皆、一寸これ見てくれる?」
 マドカは白い携帯(モバイル)PCを取り出すと、慣れた手つきで操作して一枚の画像をライトたちに提示した。
 それは古い写真をPC上に取り込んだものだった。エプロンを身につけた若い男女と白衣を着た中年の男が喫茶店と思しき店の前で仲睦まじく立ち、その背後には、開店祝いの飾花が幾つか置かれている。
「これは?」
「私のお父さんとお母さんよ」
「ということはこの白衣の小父さんがマードック博士?!」
 ライトは驚きを隠せない。画像の中のマードック博士は頭髪も多く精悍な顔つきで、ライトの知るその姿とは似ても似つかない。
「それで、この写真がどうかしたの?」
「この後ろに写っている喫茶店、何処にあるか知らないかな? 多分どんぶり島だと思うんだけど」
「多分?」
「何故かは分からないけど、おじいちゃん、いつもはぐらかして教えてくれないのよ」
「本人たちに直接聞いてみれば?」
「私、お父さんもお母さんもいないんだ……」
「ごめんマドカ! 私ったら――」
 気付いた時にはもう遅い。不用意な発言を恥じて畏縮するセイラに、マドカは頭を振る。
「大丈夫よセイラ、私全然気にしてないから……それより、このお店知らない?」
「……もしかして、あそこかな?」
 それまで黙って画像を見ていたマスタードがつぶやく。
「知ってるの?」
「ほら、あそこだよ。たんぽぽハーバー沿いの……ちょうど桟橋とヨットハーバーの中間くらいにある――」
「ああ、あそこか?」
「言われてみれば、確かに扉の形とか似てるかも」
 マスタードの言葉に、ライトもマリも相槌を打つ。
「本当? 何処にあるの? お願い、連れて行って!」
 善は急げといわんばかりに、マドカはマスタードの手を引いて、さっさと家を出て行ってしまう。
「こら、マドカ、ちゃんと戸締まりして行きなさーい!」

§ § §

「ほら、ここだよ」
 半ば強引にマスタードに案内させて辿り着いたそこは、店として永らく使われていなかったらしく、扉に掲げられた「貸店舗」の張り紙も茶褐色を帯びて、ぱりぱりに乾燥しきっていた。
 マドカは再び携帯(モバイル)PCを立ち上げて画像を出し、店の外観と照らし合わせてみる。導き出された答えは――
「間違いないわ。ここが……お父さんとお母さんのお店だったのよ」
 窓から中を覗き見る。レースのカーテンは日に焼けて退色し、テーブルや椅子も散乱して埃が分厚く積もっていた。しかし、そんな有様の向こうに、マドカはこの店の在りし日の姿を想像する。
「あそこのカウンターの上に、あの豆碾き機(コーヒーミル)を置いたらきっと素敵だわ。窓際には鉢植えなんか置いてあったかも。観葉植物でも良いわね……」
 そしてマドカは再び携帯(モバイル)PCの画像に目を落とした。
「この写真だとよく判らないのよね……お父さんとお母さんの頃ってどんな感じだったのかな?」
 ドアノブを引いてみる。案の定、鍵が掛かっていた。
 ふと見ると、扉の横に看板が掲げられていた。酷く古ぼけていて何が書いてあるのか殆ど判らないが、一際大きく書かれた文字だけが辛うじてその輪郭を残していた。その文字を解読するとこう読める。
 ―― Fantasian ――
「お父さん……お母さん……」
 僅かに残されたその文字を一つなぞる度に、マドカの中に芽生えたある思いが膨らんでいく――

 その日の夜、食後の珈琲を飲んで寛いでいたマードック博士だったが、
「聞いておじいちゃん! 私今日あのお店を見つけたの」
 マドカのその言葉を聞いた途端、さっと顔色を変えた。
「でも、ずっと使われてなかったみたいで、ボロボロだったの。でね――」
 そこまで言って、マドカは一度息を呑む。言ってもいいのかな? 否、今言わずに何時言うのだ! 己を奮い立たせると、マドカは意を決して言葉を続けた。
「私……あのお店をやってみたい。元通りにしたいの! いいでしょう?」
「……だめじゃ」
 マドカの意気込みとは対照的に、しかしマードック博士は冷静だった。
「どうして?」
「店を運営するというのは、マドカが考える以上に大変なんじゃよ。子供のお前には無理じゃ。止めておきなさい」
「そんな……お母さんのお店なんでしょう? お父さんも手伝ってたって言ってたじゃない?! そのお店があんなボロボロのままだなんて……私絶対イヤ! おじいちゃんはそれでもいいの?」
 子供だから――マドカにとって到底納得できない理由を引き合いに出され、感情的になったマドカはつい、敬愛する祖父に向かって酷い態度をとってしまう。でも、素直に謝る気にもなれなかったマドカは、お休みの挨拶もせず部屋に戻っていった。

§ § §

 それから数日後、マードック博士に来客があった。
「よおマードック、久しぶりじゃの」
「何じゃ、シナモンか」
 素っ気ない態度でもシナモン博士は気にしない。旧知の仲だ、気心は知れている。現にマードック博士は息子夫婦の遺した例の豆碾き機(コーヒーミル)で淹れた珈琲を、シナモン博士に振る舞っている。
「ライトたちから聞いたよ。マドカちゃん、あの店を――『ファンタジアン』をやりたいって。やらせてみてもいいと思うがの?」
「お前さんまでそんなことを……困ったものだ」
 マードック博士は自分で淹れた珈琲を口に運んだ。うむ、やはり珈琲はブルマンに限る。
「どうもマドカはあの店に執心しておるようじゃ」
「当然じゃよ……マドカちゃんにとっては、両親に繋がる数少ないものなんじゃから。お前さん、メース君やステヴィアちゃんの私物を殆ど処分しちまったからの」
「それは……」
 痛いところを突かれ、言葉に窮するマードック博士。シナモン博士はふと遠い目をして、言葉を続ける。
「確かに、あれは本当に悲惨な事故じゃった……だから、二人のことを思い出したくない気持ちは分かる。だがの、今のお前さんにはマドカちゃんがおるじゃないか。この間の時も、お前さんを何とか元に戻そうと無茶なことまでして、それはもう健気じゃったよ。良い子じゃないか、のう?」
「……ふん、お前に言われるまでもないわい!」
 悪態を付いてみせるマードック博士の耳はしかし少し赤い。
「マイペースじゃがしっかりしておる……マドカちゃんにやらせてみてもいいんじゃないかの?」
「しかしだな、あの子は子供じゃ。まだ早い――」
「大丈夫、何事も経験じゃよ。それに――」
 シナモン博士は手にした珈琲カップをマードック博士に向けて献げた。
「メース君やステヴィアちゃんは当然として、お前さんの淹れてくれる珈琲も美味い。昔と全く変わっとらん」
「……まさかシナモン、マドカと一緒に店をやれなどと言うのではあるまいな?」
「大丈夫、何事も経験じゃよ」

 シナモン博士が帰り、部屋にはマードック博士だけ。
「正直、まさか店が未だ残っているとはの……」
 マードック博士は白衣のポケットから一枚の写真を取り出した。エプロンを身につけた若い男女と白衣を着た中年の男が喫茶店と思しき店の前で仲睦まじく立ち、その背後には、開店祝いの飾花が幾つか置かれている――マドカの画像データの原本である。
「なあメース、ステヴィア……これが『巡り合わせ』というやつなのかの? だとしたら――」
 運命の神様とやらは、底意地が悪いようじゃ。

§ § §

 夕方、学校から帰ったマドカにマードック博士が声をかける。
「支度をしなさいマドカ。出かけるぞ」
「何処に行くの?」
「あの店を管理している不動産屋じゃよ」
「……おじいちゃん?」
 その言葉の意味するところは――
「あの店をやってもいいが、条件が二つある。一つはこれまで通り――いや、これまで以上に勉学に励むこと。店をやっているから成績が落ちた、では本末転倒じゃからの。もう一つは、一人ではやらないこと。つまり――」
 ここでマードック博士、咳払いを一つ。
「儂も一緒にやる、ということじゃ」
 マドカの顔にみるみる笑みが満ちていく。
「ありがとう、おじいちゃん!」
「これこれ、まだ喜ぶのは早いぞ。今の二つの条件を呑めるか?」
「勿論よ! 勉強だって頑張るし、おじいちゃんと一緒なんて願ったり叶ったりだわ!」
 マドカは即答し、無邪気に喜ぶ。
「待ってておじいちゃん。すぐに着替えてくるから!」

 結局、マードック博士は店舗を買い取った。当初は貸店舗のまま契約しようとしていたのだが、参考までに聞いた買取価格が予想より安かったため、長い目で見れば買った方が安くあがると判断したのだ。
 その場で売買契約を結び店の鍵を受け取ると、二人はその足で店に向かった。
 早速もらった鍵で扉を開ける。窓から差す街灯の明かりが照らす店内は、数日前と変わらず荒れた様を晒していた。
 しかし、これからは違う。ここは生まれ変わるのだ。
「頑張ろうね、おじいちゃん」
「そうじゃの」

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