HEIRLOOM

 時間ギリギリになってしまったが、何とか喫茶店としての体裁が整い、あとは開店の時を迎えるだけ。
 けれど、マドカは何か物足りない。何かとても大切なものが欠けているような気が――
「そうだ! 『あれ』を忘れちゃいけないわ!」
 マドカは急いで自宅に戻り『あれ』と一緒に帰ってきた。そして最後の仕上げとして、マドカはカウンターの上に『あれ』を――両親の形見の豆碾き機(コーヒーミル)を置いた。
「うん、やっぱりここには、これがないとね」
 その時、マドカは見た。
 カウンターの向こう、忙しなく働きながらも笑みを絶やさない両親――メースとステヴィアの姿を。
 メースとステヴィアは珈琲を淹れていた。そして、それをマドカの目の前に置く。二人は何も言わない。ただマドカに向かって静かに微笑むだけだ。
 だからマドカも何も言わない。出された珈琲を静かに口にし、心の中で感謝する。
 ――ありがとう、お父さん、お母さん……

 午前十一時。
 ついに『ファンタジアン』は開店した。

 記念すべき最初の客は、ライトとパステル、シナモン博士。そして特別にワルモン博士も呼ばれたのだった。
「何でお前がここにいるんだよ?」
 ワルモン博士に対して、露骨な悪態を付いてみせるライト。しかし、ワルモン博士は涼しい顔でかわす。
「おお、やだやだ。最近のお子様は目上に対する口の利き方も知らん。どういう教育をしとるのかね、シナモン君?」
 言っていることは正論なだけにぐうの音も出ないシナモン博士は、警察の軒下に吊してやりたい衝動をどうにか抑えた。
「それに引き替え、あのお嬢さん! 粉骨砕身働いてきた我が輩を労おうというその心遣い! とてもマードックの孫とは思えんわい。ん? 今日は白衣を着てないのかね? 現役引退? エプロン姿もらぶりーだがな!」
 こんな奴を旧友と呼ばねばならない屈辱に肩を怒らせるマードック博士は、たんぽぽハーバーの鴎の餌にしてやりたい衝動をどうにか抑えた。
 全員が席に着いたのを確認して、マドカは挨拶した。
「今日、こうして『ファンタジアン』が無事に開店できたのも、偏に皆さんのおかげです。ありがとうございました。ささやかではありますが、一番最初のお客様としてご招待させて頂きます。ゆっくりしていって下さいね」
 マドカは準備のためにカウンターの向こうへ消えた。
 ややあって、珈琲とクッキーのセットが四つ、卓に運ばれてきた。これぞ『ファンタジアン』の筆頭メニュー、その名も『ファンタジアンセット』である。
「さあ、めしあがれ♪」
 と言うが早いか、ワルモン博士は出されたクッキーをまとめて――他の者の分まで頬張りだした。
「ちょっとワルモン博士、お行儀が悪いわよ!」
 口腔に食べ物を詰めたまま話すのでまるで聞き取れないが、訳するとこうなる。
「五月蝿い! こっちは肉体労働しているというのに、お前等ときたらペロリーメイトしかくれなかったじゃないか! 我が輩にはこれを食べる権利がある!」
 だが……
「Как для кофеего однако он вкусен, такой вкусный cookie, котор вы имеете съедено!」
 ワルモン博士は意味不明の悲鳴を上げ、倒れてしまったのだった。
「どうしたの? そうか! 倒れるほど美味しかったのね? 良かった! まだ沢山あるから大丈夫! 今持ってくるね」
 マドカは無邪気に喜んでいるが……果たして、そうなのであろうか? 床に倒れ伏しているワルモン博士は、白目を剥いて痙攣を起こしている。クッキーを喉に詰まらせたくらいで、こうはならないだろう。
 これはヤバイかも知れない――ライトたちは身の危険を感じずにいられなかった。
 そしてその危機は、もうすぐそこまで迫っている……
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 ここは都会島のアーバン中学校――かつてマドカが通っていた中学校である。
 先日、マドカから届いた手紙を、かつての級友たちが回し読みしていた。
「マドカ、どんぶり島で喫茶店始めたんだって」
「え? それって、拙くない?」
「だよなぁ……あいつの作るクッキー、凄かったもんな」
「良くも悪くも、凄かったわね」
「美味しい時は、凄く美味しいんだけどねぇ……」
「不味い時は死ぬほど不味いもんなぁ」
「あんな『ギャンブルクッキー』店で出されたりしたら、堪らないよな」
「……どんぶり島の人たち、ご愁傷様」

~ 終 ~

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