Splendor of Ours – the first part –

Brainwashing〜洗脳

 一方、ふしぎの国では、エースの身に難問が降りかかっていた。フルートを捕らえる任務を失敗した責任を問われ、営倉を科せられていたのだ。
 しかし、翌日になって、エースは営倉から解放された。どういうことかと訝しんでいると、そのまま宮殿内のナンセンスの執務室へ連行された。室内にはナンセンスとワンダーが、茶を飲みながら待っていた。
「来たザマスね。まあそこに座るザマス」
 ナンセンスはエースに椅子を勧めた。しかし、その椅子は部屋の豪奢な内装に比べてひどく質素で、ナンセンスたちのかけている食卓から離れた位置に、一脚だけぽつんと置かれていた。少なくとも、茶の席に同伴させようというつもりはないらしい。
 それでもエースは「失礼します」と、その椅子に腰掛けた。こんなことに逆らっても仕方がない。
 それを見てナンセンス大公は食卓から離れ、エースの正面に立った。そして、見下ろすように言い放つ。
「ワンダー将軍から聞いたザマス。女王の侍女に逃げられたとか……たかが蚊トンボ一匹、捕まえられないザマスか?」
「……申し訳ございません」
 エースは謝罪の言葉を口にする。昨夜からもう何度、この台詞を口にしただろう。
「まあ問題はそこではないザマス。貴方にもう一度聞くザマスよ。あの女王の侍女には『逃げられた』ザマスね?」
 ……疑っているのか? 仮にそうだとしても、今はこう答えるよりない。
「……そうです」
 だが、ナンセンスの反応は、エースの予想していたものとは大分違っていた。エースの答えを鼻先でせせら笑い、
「異邦人(フォリナー)は言葉もろくに知らないザマスか? 『逃げられた』と『逃がした』は全然違うザマスよ」
 エースは瞠目した。大公が知っているはずはない。何故知っているんだ?!
「どうして知っているんだ、とでも言いたげな顔ザマスね。特別に教えて差し上げるザマス」
 ナンセンスはテーブルの上から掌ほどの大きさの黒い機械を取り、エースの眼前に差し出した。それは小型のテープレコーダーだった。ナンセンスが側面の突起を押し込むと、録音されている音声が再生され始めた。
『何処に行こうとしていたんだ?』
 紛うことなきエースの声――それは昨夜『結界』の間近でフルートと交わした会話だった。
 ――しまった、音声記録装置(ボイスレコーダー)か!
『……だろうな。正直今回の『計画』はあまりにも乱暴すぎて賛成できない。けれど、ワンダー将軍が『計画』に賛同している以上、俺もまた追随しなくてはならないんだ。異邦人(フォリナー)の俺をここまで育ててくれた恩人だからな』
 そこでナンセンスは再生を止めた。エースの顔がみるみる青ざめていく。これでもう、どんな言い逃れもできない。
「上官の命に背いたそなたは、本来なら銃殺刑ものザマス。しかし、そなたは我が防衛軍の切り札。それをこのような形で失うのは、あまりにも惜しいザマス。そこで――」
 ナンセンスはテープレコーダーを食卓に置き、代わりに両腕で抱えるほどの大きさのトランクを出してきた。恭しく鍵を開け、蓋を開く。そこには、本来メロディの手の中にあるべき至宝が鎮座ましましていた。
「【しあわせのハープ】!」
「そのとおり。これでそなたを再教育するザマス」
 エースは知らず、表情を強張らせた。「再教育」の意味するところは即ち「洗脳」である。自分の意思を剥奪される恐怖が、エースを突き動かす。蹴倒すように椅子から立ち上がり逃げようとしたエース。だが、いつの間に背後に回っていたのか、ワンダーに羽交い絞めにされ動きを封じられた。
「義父上、何を――!」
「観念しろエース」
 その体勢のまま、再び椅子に座らせられるエース。
 ポロ……ン
 ナンセンスが【しあわせのハープ】を爪弾いた。音色に込められた、エースを洗脳しようという「悪意」が耳孔から滲入し、砂漠が水を吸うように心の中に染み入っていく。
 そうはさせない、絶対に折れてはいけない――エースは奥歯を噛んで「悪意」の滲入に耐えた。
「おや? 効かないザマスね」
「エースは類まれなる強靭な精神の持ち主。そう簡単にはいかないでしょう」
 義理とはいえ自分の息子が洗脳されようとしているにもかかわらず、ワンダーは冷静に解説する。その冷静さが却って不気味で、ナンセンスは思わず、皮肉を口走らずにいられなかった。
「なるほど。親の教育の賜物ザマスね。しかし――いつまで耐えられるザマスかねぇ?」
「う……ぐ……」
 先刻よりも激しい旋律と不協和音がエースを襲うが、メロディを強く想うことで「悪意」を克服しようとした。
 しかし「悪意」はそんなことお構い無しで、記憶を奪い、感情を封じ、心を徐々に追い込んでいく。そしてついに、
 ――駄目だ……もう、抗えない……
 エースの脳裏にメロディの面影が過ぎる。メビウスの塔の最上階に閉じ込めたときに見た傷心の表情――一番見たくなかった、なのに自分がそうさせた、そんな表情は見たくない、もう見たくない、もう何も見たくない――
 やがてメロディの面影も「悪意」の前に掠れていき、消え失せると同時に、エースの心も「悪意」の陰に沈んで行った。
 エースは失神し、全身からぐったり力が抜け落ちる。
「ようやく大人しくなったザマス」
 そう呟くナンセンスの額にも、汗が滲んでいた。元々楽器の演奏が苦手だったナンセンスは、長い時間ハープを弾くことができない。今は必要に迫られてハープを弾いているが、正直苦痛でしかないのだ。
 ナンセンスはトランクに【しあわせのハープ】をしまうと、トランクを持ったまま部屋を出た。ワンダーもエースを背負い、後に続く。
「私は『彼女』に挨拶でもしてくるザマス。間もなく完成すると、先刻連絡があったザマス」
「エースは如何致しましょう?」
「親である貴方に任せるザマスよ。せいぜい従順な息子に、育て直せばいいザマス」
「……了解(ヤー)」
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 短い会話の後、ナンセンスとワンダーはそれぞれ違う方向に歩き出した。
 人気のない宮殿の廊下を、ワンダーはエースを背負って歩く。身に着けている鎧が歩を進める度に軋み、重い金属音が響き渡る。
 音声記録装置(ボイスレコーダー)をナンセンスに提出したのは、ワンダーだった。エースが「全世界ふしぎの国化計画」に反対していることを知りつつ、そして提出した結果こうなることを分かっていながら、敢えて音声記録装置(ボイスレコーダー)を提出した。
 これで良かったのだ――ワンダーは自分に言い聞かせた。今は辛くとも、いつか必ずこれで良かったのだと言える時が来る。だから今はただ、大公と共に「計画」を遂行しよう。全てはこの国の未来のため、そして我が愚息のため――
 それでも、ワンダーの表情は晴れない。苦み走った表情に、僅かに苦悩の色が滲んだ。
「親の心子知らず、だな……」
 その果てに零れ落ちた呟きも、鎧が軋む音に紛れ、無人の廊下の虚空に吸い込まれていった。

~ 続 ~

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